坂本 第2回目のゲストは株式会社浜銀総合研究所、大島昭浩さんです。今日は、1回目の対談と雰囲気を変えてお伝えしたいと思います。
坂本 宜しくお願い致します。
大島 宜しくお願い致します。
坂本 対談に入る前に、読者に先生の専門分野をお伝えしたいと思います。先生のご専門を教えていただけますか?
大島 はい。私の専門分野、領域は、イノベーション・マネジメント、ベンチャー企業論です。
坂本 イノベーション・マネージメントやベンチャー企業論がご専門ということで、私も以前、先生から教わった一人ですね。今日の対談もそのご縁で実現しました。ですので、いつもどおり、先生って呼びますね。
大島 はい。
大島 昭浩
株式会社浜銀総合研究所 戦略研究部研究主幹
早稲田大学ビジネススクール非常勤講師 (イノベーションマネジメント)
坂本 先生、今はどこで講義を持たれていますか?
大島 昨年度から、早稲田大学ビジネススクールでノベーションマネジメントを秋学期に教えてます。
坂本 今日はイノベーション・マネージメントやベンチャー企業論が専門の大島先生との対談で、テーマは『イノベーションと聴覚心理』で行きたいと思います。
大島 壮大なテーマですね(笑)日本はイノベーションで立国しよう!?
坂本 私の中で、イノベーションって言葉は、安倍内閣時代(2006年9月~2007年8月)に流行りだしように感じています。当時、イノベーションで立国するんだ、というようなことが言われていました。それから6年経ちますが、イノベーションで立国できたと感じられますか?
大島 結論からいうと・・・立国はできていない、できなかった、と言わざるを得ないですね。ただ、イノベーション政策というのは安倍内閣以前からあったんですよ。
坂本 あったんですか?
大島 呼び方は違いましたが、「大学発ベンチャー1000社計画」などは今で言うイノベーション施策のはしりでしょう。現在では「クローニング・シリコンバレー政策」などと揶揄されていますけどね。
坂本 クローニングシリコンバレー政策・・・?
大島 70年代、80年代は日本企業全盛の時代で、電機製品や自動車を怒涛のごとくアメリカに輸出していた時代ですね。アメリカの経済や産業が傾いた時代です。ところが90年代に入ると、アメリカの産業も経済も絶好調になっていったわけです。
坂本 同じぐらいですか、クリントン時代(1993年-2001年)に、情報スーパーハイウェーってのもありましたね。
大島 ありましたねぇ!政策そのものはかけ声だけだったのですが、アメリカの復活劇の原動力となったのがシリコンバレーに代表されるIT系の企業だった、というのが大方の見方です。逆に日本は90年代に入ると、バブル崩壊で「失われた20年」に突入してしまった。そこで、シリコンバレーを日本でも作れば、アメリカのように復活するんではないか?ということで、シリコンバレーを日本にも作ろうとしたわけです。
坂本 なるほど
大島 経済産業省の「産業クラスター計画」や文部科学省の「知的クラスター計画」なども、その流れの中に位置づけられると思います。私の知り合いの経産省の方にお話を聞くと「それは違う」って言うんですけどね。
坂本 知的クラスター知ってます。だって、私参加しましたから(笑)
大島 そうでしたねぇ(笑)。両方を比べると、ちょっと中身は違う。知的クラスターの方はイノベーションのプロセスの上流寄りで、産業クラスターは下流寄りとでも言うんでしょうか。
坂本 シーズ志向なのか、ニーズ志向なのかに似てますね。
*ニーズ志向 消費者のニーズに合わせて商品などを開発する考え方
*シーズ志向 新たな技術や研究成果(シーズ)を用いて商品などを開発する考え方
大島 はい、そうですね。実は産業クラスターには二つの流れがあると思っていて、一つは伝統的な中小企業振興施策で、中小企業どうしのネットワークからイノベーションを起こしていこうというもの。これが先ほどの「違う」といった部分。もう一つが、大学や公的研究機関の技術シーズを産業化しようとするもので、1986年に出た「ヤングレポート」に代表されるアメリカのシーズ志向的な産業政策の模倣といっていいと思います。その中には大学の知的財産をベンチャー企業に活用させるような考え方も背景としてあったわけです。
坂本 大学発ベンチャーを創らせたかった、みたいな。
大島 そうですね。「大学発ベンチャー1000社計画」自体はクラスター計画そのものではありませんが、政策的には関連性が強かったと思います。
坂本 TLOが、いっぱいできたのもその時期ですね。
*TLO Technology Licensing Organization(技術移転機関)の略称。大学などが所有、創造する研究成果(シーズ)を特許権などの知的財産権に権利化した上でそれを基にしたベンチャー企業を興したり、民間企業に権利供与したりすることの橋渡しのために設けられた機関。
大島 そうです。ただ、イノベーションを誘発して経済成長を図ろうとした初期の目的からすると、大学発ベンチャー1000社計画もクラスター計画も、とても成功したとは言い難いと思いますね。酷な言い方だとは思いますが。もちろん活躍しているベンチャー企業もたくさんあるわけですが、力強く経済を成長させるまでは至らなかった。
坂本 原因は何だとお考えですか?
大島 風土の違いですかね。そう言うと私のお師匠にあたる早稲田大学の吉川智教教授に怒られるんですけどね。安易に風土論なんかに逃げるなって・・・。
坂本 風土の違いですか・・・
大島 アメリカ、特にシリコンバレーは起業文化が盛んですよね。坂本さんには、ザインエレクトロニクス株式会社の飯塚さんのお話をしたことがありましたよね?
坂本 はい、以前に伺いました。液晶用の半導体で成功した、日本のベンチャー企業の社長さんですね。
大島 はい、飯塚さんという社長さんは元は東芝の研究者で、若くして半導体技術研究所の技術開発部の部長にまでなった人ですが、東芝に入って間もないころにシリコンバレーのHPに行って衝撃を受けたわけです。向こうの人は皆、1年、2年で会社を辞めてジョブホッピングするって(笑)。お前は何年東芝にいるつもりだと笑われたそうです。
坂本 そんなイメージは、ありますね。
坂本 真一
オトデザイナーズ代表取締役 工学博士 「伝わる」技術 著者
2012年任天堂から発売された、Wiiソフト「キキトリック」を共同開発
大島 皆がということはないのかもしれませんが・・・逆に日本は、一度入ったら、定年まで勤めるという文化ですね。
坂本 そうです。
日本における”起業”の現状
大島 結局、異なった風土の国から、形だけを持ってきても日本人には合わなかったんじゃないですかね。
坂本 小泉内閣時代(2001年4月~2006年9月)に人材の流動性という言葉が、盛んに使われたと思うんですが・・・どんどん独立・転職しなさいと啓蒙活動をしたのに今の若い人が就職先に求める一番は、安定ですよね。結局、風土的に受け入れられていない、ということは確かですね。
大島 その意見に反対する人は、戦前は、そんなんじゃなかった。長期雇用は戦後できた風土なんだからって言いますね。
坂本 「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」なんて言いますしね。
大島 (笑)確かに、中小企業はデータ的にみても長期雇用ではないですね。ただ、若い人たちが、大手企業に偏る傾向があるのも事実です。それに、日本人全体で考えても、個人はそんなに強くないですから、1人で何もかもするという人、しようとする人(起業)は少ないですね。
坂本 やはり起業する人は少ないですね。
大島 実は、起業する人が少ないだけではなく、起業率と廃業率の逆転がずっと続いているんです。これは深刻な問題なんです。
坂本 オトデザイナーズは創業7年目です。特に、この時代に、7年も続いてるってだけで、周りから凄いって言われます(笑)
大島 いや、笑いごとで無く、本当に大変なことですよ。その間に、任天堂と一緒にキキトリックを開発されたり、本を出されたり。立派です。
坂本 ありがとうございます。照れますね。創業当時、周りから「起業なんて止めた方が良い」という声はずいぶん聞きました。
大島 そうでしょうね。
坂本 私の母も、息子が起業するって周りの人に話したら「止めた方が良いのでは?」と言われたことがあったと言ってました。
大島 坂本さんのお母様は反対されなかったんですか?先ほどお話した、飯塚さんの著書、『脱藩ベンチャーの挑戦』に日本は、3つの”ちゃん”が起業を阻害すると書いてありました。・自分のかあ”ちゃん”(母)・奥さんのかあ”ちゃん”(義母)・かあ”ちゃん”(妻)
坂本 うちは誰も止めてくれなかったんで・・・(笑)