日本は技術立国だと言われています。
近年は、中国や韓国に追いつかれ、追い越されそうになっているとの話もありますが、私は個人的には、特に精密部品の製造など、今でも日本のもの作りの技術は世界一だと思っています。
もの作りには、とても高度な技術が必要です。
1/1000ミリの“ずれ”が致命的な欠陥に繋がってしまうような精密機械を製造する日本の技術は、工作機械の性能が良いというだけでは説明し切れません。
そこには、神業とも思えるような高い能力を有する工員さん達の存在が欠かせないのです。
どんなに精密な機械、どんなに精密な分析装置を持ってきても、ベテラン工員さん達の“技”には適わないのです。
「2007年問題」という言葉をご存知でしょうか?
技術立国ニッポンの高度な技術を支えてきたベテランの工員さん達。
その多くは団塊の世代と呼ばれる年代の方々で、2007年に一斉に定年退職となる年齢だったのです。
それまでは、大手企業の取締役の方々やメガバンクのエリート工員さん達の中には、自分達が日本を支えているような傲慢な思いをもたれていた方もいたのかもしれません。
ところが、2007年が近付くにつれて、現場で神業とも思える高度な技術力を発揮してきた工員さん達がいなくなってしまっては、日本の高度な技術を維持して行くことが出来ないと、皆が気付き始めたのです。
技術立国ニッポンを支えてきたのは彼らであったのだと。
結果として、多くの企業では、ベテラン工員さんの定年を延長したり、嘱託として残ってもらったりして、技術の伝承に奔走することになったのです。
ベテラン工員さん達の多くは、素晴らしい“目”を持っています。
小さな歪みやずれも見逃さない目です。
そして、手先の感覚がとても鋭敏です。
部品の表面を指先でなぞるだけで、機械では測れないような僅かな“ずれ”を見つけてしまう工員さんもいると聞きます。
研ぎ澄まされた視覚と触覚の為せる業です。
そんな中で見落とされがちなのが、彼らの“聴覚”です。
私は仕事柄、多くの工場に行き、多くの工員さん達とお話をさせていただきます。
その中で良く思うのは、彼らの“音の違い”に対する、とてもデリケートで精密な感覚です。
(2012.4.2)